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書きなぐり

リモート勤務のこと

リモート勤務することになって1w

経緯

長期入院から奥さんが退院した。非常に嬉しい。ただ、完治ではなくこれから数年かけて完治に向かっていく。通院して様子を見ながらだ。

これからは家にいてもストレスなくのびのび過ごしてもらえるようにするのが最優先、そのためには仕事のウェイトを下げないといけないが、異動したばかりだし、大事な時だし、他の人は忙しいのに、そもそも通勤が長いのが…とかモヤモヤ考えているのが面倒臭くなってきた。 思い切って仕事辞めようかとすら思い始めたが、上司に相談したところ在宅勤務を勧めてくれた。 役員からも「今、家庭重視しなくてどうするの」と非常にありがたい言葉を貰ったので(本当に良い会社である)早速在宅勤務を始めることになった。

環境

  • 職場と同じように自宅マシンの機材を新調、VPNで自分のマシンにリモート
  • 連絡は大事なものはメール、普段会話はSlack、顔見て話す必要がある時はSkype(でも音声品質よくない)…でもイマイチ定まらない感じ
  • 毎日の計画と実績は日報として送っている

集中出来る

チャット以外に声をかけられることがほとんど無いので、非常に集中できる。

会社の様子が分からないので不安に感じることも

Slackがメインだが、プレゼンスがあまりあてにならないので急ぎの確認の時は電話してしまうことも。

電話欲しいような

社外とやりとりする時にやはり電話あればな…とは思うが、気のせいかも。 メールに切り替えたり、別の手段で何とかなるかも

まとめ

  • フィードバック欲しい
  • 連絡手段は一本化したい
  • 通信品質大事
  • まだまだ分からないこと多いのでトライアルアンドエラー

がんばるぞい

Emojiとメンタルのこと

slackの絵文字やLINEのスタンプの履歴を眺めると、自分が場所や人に対してどんな感覚で臨んでるか一歩引いて見えることがある。

 

元々EmojiとかEmoticonは無味乾燥なテキストメッセージの世界に感情表現を取り入れるためのものなので、当たり前のことなのかもしれないけど、よく使うスタンプとかが候補で出てくるのを見たときに、前向きなものが多いのか否定的なものが多いのか、あるいは全く使ってない(使ったのを覚えてない程昔の候補ものが並んでいる)のかで、普段のメンタル状態の傾向が出てくるなーと思ったり。

 

もちろん自分に正直に使っていれば…というのはあるけれど、たとえ文章でも実際に発言した言葉であっても、その時込めた感情は自分自身に戻ってきて、後々の感情にも畳み込まれていくと思うので、普段からかわいい前向きなスタンプとか積極的に使っていけば、多少は自分自身の救いになるんじゃないかなと考えたりした。

教育のこと

先日の同窓会にて、高校教師をしている同級生と話す機会があったので感じたことをつらつら

 

 教育のIT化について

彼らは導入したいと思っているみたいだが、かけるお金が無いようだ。

私立ならまだしも、公立校ともなると学校間で差が出てはダメらしく、一斉に導入するのは難しいらしい。

個人デバイスとなると、各家庭の教育方針やお財布事情でスマホどころかガラケーも持ってない学生もやはりいるようだ。

 

日本のジレンマ2016の元旦SPで上杉周作さんが同じ話をしていたのを思い出した。あれはアメリカの話だったが、富裕層貧困層の学校だけがIT化されて中間層が遅れているという。アメリカに比べて経済格差が直接的に教育格差になりにくい日本では、富裕層貧困層中間層が私立と公立に置き換わり、中間層貧困層が無い構図になって、アメリカよりもIT化が遅れていくのだろうなと感じた。実験的な試みはあるだろうけど。

 

今からでも家での学習はネットとか使えばいいのにと思う反面、暗算とか算盤はできた方がいいよなーとは思う。

 

主体的な学びについて

僕らの中等教育のあたりから、自分で考えて答えを出す取り組みはされていて、当時は先生も含め何をしたら良いのか全く分からないまま、地域の歴史調べたり、ディベートしていた記憶はあった。

最近は小学校から自ら学ぶ授業が定着しているらしく、高校生の彼らもそういった授業には慣れているみたいだ。

 

先生サイドとしては、どう考えているのかなーと思ったが、ファシリテーション力の一言に尽きるらしい。

学生が自分自身で出した答えが的外れだったり、極度に偏ったものだった時にどうするのか気になったんだが、時間もなくあまり深く話が出来なかった。

僕らが教わっていた頃の先生の教育って、先生自身の思想や信条が教える内容に強く出ていた気がしていて、特に左寄りな人が多かった印象があった。今はどうだか分からないが、先生方もまだ現役だろう。一方でネットもメディアも最近は右寄りな風潮だから学生だけで情報を仕入れて学ぶにしても偏りそうだし、バランスが難しそうな環境だなと感じた。(そもそもそういう事をコントロールしようとするのがまずいのかも)

 

息子が学校に通う頃はどんな状況になっているんだろうか。

 

「ニッポンのジレンマ」元日スペシャルに出たとき、カンペに書かれていたこと | 上杉周作

 

株価のこと

ドナルド・トランプが次期アメリカ大統領になった。

当日日経平均株価は一時1,000円も下落するし円高も進むし、世界がとんでもない方向に進んでいくのかと思っていたが、いざ当選確実で勝利宣言演説では以前の過激な発言も出なくなったし、皆の大統領とかまともなこと言い始めるし、あんなにディスっていたオバマ大統領とも円満に話し合いしているし、2日もしたら株価も元通りだしトランプリスクとは何だったんだって感じだ。

リスクを避けたいから株が売られるとか、きちんと説明できることなんだろうけど、なんだか会社の現状とは関係ないレベルで理不尽に株価が変動しているようにも思えてしまう。 先日のエントリとも被るのだけれど、金儲けだけを考えて動いていることで一体誰が幸せになっているのかと、もやっとする。

自分も一時期株取引に手を出したときには、とにかく儲けられるのか?優待がいいか?という目線でしか観ていなかったのだけれど。

アドラー心理学のこと

僕がアドラー心理学を知ったのは、数年前の夏だった。 当時、SIerで働いていたがメンタルを病みドクターストップがかかって休職、数ヶ月間は主夫業をしていた。

嫌われる勇気が話題になった頃で、安定剤とゲームと一日14時間睡眠でだいぶ回復してきた時期にあった僕はその本を読んで衝撃を受けた。 自分でも薄々感じていた性格の影の部分にばっちり光をあてられて、読みながら「認めざるをえない…ツラい…」とも思ったのだが、幸いにも受け入れられるだけの余裕はあったので、これがきっかけで逆に元気になり、スパッと退職して今に至ったりする。

現在、周りにはいろんな宗教を信じる人が居る。特にプロテスタントのクリスチャンの人が多いのだが、聖書の教えを色々聞いているとアドラー心理学と通ずるものがあるなと感じることが多くなった。 例えば聖書の教えの「隣人愛」はアドラー心理学でいう「共同感覚体」と同じだし、キリスト教の信仰が「神様と自分」の関係にフォーカスするのに対して、アドラー心理学は「他人の人生を生きるな」と言う。これもそうだ。

ただ、そこに神様という存在がいないという点が違うのだが、そこが非常に大きいと思う。 僕は神様のことはよくわからないが、クリスチャンや他の宗教を信じている人たちが心穏やかに感じているものと、きっと同じものをアドラー心理学が教えてくれたと思っている。

アドラー心理学自体すごく宗教的な話だと思うのだが、前提として神様を必要としないからこそ、特定の宗教を信じない日本人でも受け入れられやすいのだろうなと思ったら腑に落ちたのだ。それだけ。

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

嫌われる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教え

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

幸せになる勇気―――自己啓発の源流「アドラー」の教えII

株式会社のこと

私は、以前は上場企業に居て、今は非上場企業にいる。

以前いた会社は規模もそれなりに大きくて経営層も遠い人に感じてたんだけど、今はすごく距離が近くて声もかけやすいし、いい感じである。管理がゆるくて大丈夫か?と思うときもあるくらい、まったく逆だ。

上場企業は何をするにしても事前に計画して、約束とおりに利益を出していく必要がある。それが投資家に対する責任だからだ。

でも、利益最優先で満足しない株主に会社を渡すことは会社にとって良いことなんだろうか。

会社をただ投資家のための金を生むための商品にされているのは本当に良いのだろうか。

株主が利益最優先ではなく、目に見える形での社会貢献や皆が豊かに暮らせるために投資してくれないだろうか。(寄付と言うかたちが一番いいんだが)

利益を出すことにだけ興味があって、口うるさい投資家には仮に自分のところの株を上場することがあっても買ってもらいたくはないな。と思ったりする。現実はそうはいかないんだろうけど。

ただ、自分のためだけに稼ぎすぎないという考え方が当たり前の世の中になればいいなと思う。

豊かさってなんだ

ホセ・ムヒカさんの講演を読んだ。

hana.bi

hana.bi

最初のは2012年7月のリオ会議…って相当前だったのか、知らなかった。 数ヶ月前ニュースで観た際に、「行き過ぎた資本主義に対して、私たちは立ち止まらなければならない」ということで気づきを得たんだけど、今日twitterで回ってきた記事も全く同じことを示していたなーと思った。

モノがあふれる世界にあって、「多いこと≠豊かであること」とか「必要以上に損得勘定しない」ということが浸透してきたように感じる。 会社が大きくなって、給料が増えて…という成長も必要だと思うけど、時々立ち止まってマーケットの奴隷になっていないか、自分自身に問うことは大事だね。 立ち止まったときに何が出来るか…他人への貢献なんだろうなと思う。

適正な価格で買って生産者・製作者が潤うようにすること。 そしてそうやってお互いを支え合っていることに対して貢献感を感じることが、本当の豊かさなのかなーと思った。